4月(卯月)の和菓子「上用(薯蕷)まんじゅう」「柏餅」「祝い兜」【野田藤フェア】

「上用まんじゅう」

お祝い事に欠かせないおまんじゅうが上用まんじゅう。

この時期入学や入社、転居、転勤など新しい門出のお祝いに・・・

生地には、山の芋(大和芋、つくね芋などと呼ばれる丸っこい形の芋)を手ずりして加えていて、それがふんわりもっちりした食感を生み、自家製こしあんを包んでいます。

「柏餅」

柏は古来より神聖な木とされ、葉は新芽が出てくるのを待って葉を落とすので、後継が育つことを何よりも大切にしていた武家社会において縁起が良いものとされ、端午の節句に食べられるようになったそうです。

端午の節句とは、古代中国では高温多湿で伝染病や害虫の被害の多い月だったため、五が重なる五日に菖蒲や蓬などの薬草を使って邪気を祓う行事を行っていたことに由来しています。菖蒲の根は漢方で「万根を癒す」とされ、葉と茎の精油成分が保湿成分や血行促進作用があるため菖蒲湯なども行われます。

「祝い兜」

農村では厄除けが中心だった端午の節句は、武家社会では菖蒲が尚武や勝負に通じることから武運長久を祈る行事になっていき、幕府の五節句の一つになり、武士の家では鎧兜や武者人形、幟や吹き流しを立てて祝う習慣が始まりました。また立身出世の象徴として、滝登りをする勢いのよい鯉にあやかるように鯉のぼりが空高く上げられるようになっていきました。

当店では4月中旬頃より、蜜漬け青梅を白あんと求肥餅で包んだ菓子を兜を描いた個箱に入れて販売します。

青梅の甘酸っぱさと白あんがマッチして、そのさっぱりした甘さがくせになります。節句のお祝いにも最適です。

【野田藤フェア】

古大和川と淀川から運ばれる土砂が大阪湾に堆積し浪速の八十島が生まれる中で、上流から流れ着いたフジが根付き数百年にわたり世代交代しながら、平安末期にはこの付近にあった野田の細江と呼ばれる入り江の一帯に咲いていました。

戦国時代には大部分が切り払われてしまいましたが、わずかに現在の福島区の春日神社付近に生き残り、安土桃山時代には豊臣秀吉が駕籠を巡らせて藤見に訪れました。野田の藤は『吉野の桜・野田の藤・高尾の紅葉』と童歌にも歌われていました。

当店では、その野田の藤に因んだお菓子を販売しております。

「野田藤せんべい」・・野田藤の焼印が入った玉子せんべいです。普段から人気があり進物用に箱入りと気軽に食べられる袋入りをご用意しております。

「むらさきの雲」・・「紫の雲とやいはん 藤の花 野にも山にも はひぞかかれる」という足利義詮の歌にちなみ「むらさきの雲」と名付けました。丹波大納言の粒あんをしっとりとした村雨生地で巻いた生菓子です。

「栗の幸」・・野田藤ワインの白を加えた錦玉羹(寒天生地)に蜜漬け栗をまるまる一粒と大納言小豆を入れたお菓子です。ワインの風味が香る大人の和菓子です。

通年販売しているお菓子ではありますが、藤の咲くこの時期に特にお薦めです。